2013年03月09日
軽便鉄道 その2
はいたーいも!
前回の軽便鉄道のお話に引き続き、第2弾ですよ!
その1、は軽便の走った風景を通して、大山田芋畑の
戦前・戦後の移り変わりをまとめてみました。
今回は、数少ない軽便鉄道の遺構が、大山から
発見されたという逸話をご紹介しましょう!
戦前に沖縄を走っていた軽便鉄道。

[1935年 牧港~大謝名間を走る嘉手納行軽便鉄道]
線路のまわりにターブックヮ(田んぼ)が広がっています。
大きな琉球松の横を、蒸気を上げて走る軽便。
戦争が始まり、米軍上陸後の激しい戦闘の中、軽便鉄道
の線路も車両もことごとく破壊されてしまいます。
戦後、軽便鉄道を知る手掛かりとなる物は殆ど無い状態
でした。ところが、1983年7月29日、かつての大山駅付近
の建設現場で、軽便鉄道の車輪が発見されたのです!
ほぼ完全な形での発見は初めてでした。

[発見当時の軽便鉄道の車輪]
これを発見された方はどの様な気持ちだったでしょうか。
戦後しばらく経っての発見。よくぞ残っていてくれた、と
思ったに違いありません。
その実物を、現在も見ることができます。
「宜野湾市立博物館」のロビーに展示されています。

[軽便鉄道の車輪 実物]
大山田芋畑のそばを走っていた軽便鉄道。
ぜひ一度見に行ってみて下さいね!
*写真はすべて宜野湾市立博物館で撮ったものです。
写真撮影とブログ掲載許可を得ています。
[宜野湾市立博物館]
沖縄県宜野湾市真志喜1丁目25-1
098-870-9317
入場無料(9~17時)
休館日:火・祝日
前回の軽便鉄道のお話に引き続き、第2弾ですよ!
その1、は軽便の走った風景を通して、大山田芋畑の
戦前・戦後の移り変わりをまとめてみました。
今回は、数少ない軽便鉄道の遺構が、大山から
発見されたという逸話をご紹介しましょう!
戦前に沖縄を走っていた軽便鉄道。
[1935年 牧港~大謝名間を走る嘉手納行軽便鉄道]
線路のまわりにターブックヮ(田んぼ)が広がっています。
大きな琉球松の横を、蒸気を上げて走る軽便。
戦争が始まり、米軍上陸後の激しい戦闘の中、軽便鉄道
の線路も車両もことごとく破壊されてしまいます。
戦後、軽便鉄道を知る手掛かりとなる物は殆ど無い状態
でした。ところが、1983年7月29日、かつての大山駅付近
の建設現場で、軽便鉄道の車輪が発見されたのです!
ほぼ完全な形での発見は初めてでした。
[発見当時の軽便鉄道の車輪]
これを発見された方はどの様な気持ちだったでしょうか。
戦後しばらく経っての発見。よくぞ残っていてくれた、と
思ったに違いありません。
その実物を、現在も見ることができます。
「宜野湾市立博物館」のロビーに展示されています。
[軽便鉄道の車輪 実物]
大山田芋畑のそばを走っていた軽便鉄道。
ぜひ一度見に行ってみて下さいね!
*写真はすべて宜野湾市立博物館で撮ったものです。
写真撮影とブログ掲載許可を得ています。
[宜野湾市立博物館]
沖縄県宜野湾市真志喜1丁目25-1
098-870-9317
入場無料(9~17時)
休館日:火・祝日
大山田芋ファンクラブへのご連絡は下記アドレスまで。
ooyamataimo@gmail.com
Posted by ターンム at 10:00│Comments(2)
│大山田芋畑の歴史
この記事へのコメント
実際の車輪があるなんてすごいですよね。
Posted by .沖 at 2013年03月11日 18:03
現在でも、実物の車体の一部があるのは、ここだけではないかと思います。
ぜひ見に行ってみて下さいね。
その時は、大山田芋畑にもお寄って頂けたら嬉しいです。
ファンクラブメンバーが、ガイドもできますよ。
ooyamataimo@gmail.comまでご連絡下さいね。
ぜひ見に行ってみて下さいね。
その時は、大山田芋畑にもお寄って頂けたら嬉しいです。
ファンクラブメンバーが、ガイドもできますよ。
ooyamataimo@gmail.comまでご連絡下さいね。
Posted by ターンム
at 2013年03月12日 12:41
