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2017年09月29日

大山平松(ひらまーちゃー)

はいたーいも。

みなさん、大山平松(おおやま ひらまーちゃー)って聞いたことありますか?

戦前、大山に生きていた大きな美しいリュウキュウマツ(琉球松)の呼び名です。

枝ぶりが平らに広がったものを平松と言っていました。

この「ひらまーちゃー」の事を知ったのは、田芋生産の重鎮 伊佐實雄氏のお話を聞いたときでした。

戦前、今の58号付近に、大きくてとても美しい松があったと。戦争で失われてしまったと。

それ以来ずっと、このひらまーちゃーの姿を見てみたいと思っていました。

ある時、大山公民館に用事で言ったとき、ふと玄関付近の壁を見上げると・・・・・
そこには、なんと大山平松の姿が描かれた絵が飾られていたんです!!!
大山平松(ひらまーちゃー)
とても感激しました。
思い続けていた人に会えたようなハート
こんな姿だったんだ、大きな木陰は人々を癒しただろうな・・・
「今も残っていてほしかった」
その横には、大山平松の詩が添えられていました。
大山平松(ひらまーちゃー)
「大山平松や 枝持ちの美らさ   大山美童の 手振り美らさ」
平松の美しさが伝わってきます。大山の人たちの自慢だったでしょう。

それからしばらくして、琉球新報にも実際の姿が掲載されているのを見て「おお!実際の姿が写真に残っていたんだ!」
と、またまた感激!
大山平松(ひらまーちゃー)
【琉球新報 2017年4月22日(土) 18面「ウィルソンが見た1917年の沖縄」】
※琉球新報社には掲載許可を頂いております。

プラントハンター アーネスト・ヘンリー・ウィルソン が1917年に沖縄を訪れた時に撮影した写真です。
ちょうど100年前の沖縄。

「強い風のせいで樹冠がテーブルのように平らになった」とあります。海からの強風だったのでしょうか。
ウィルソンさん、写真撮っておいてくれて、ありがたーいも!

今はその姿を見ることはできませんが、当時の姿を色々な形で伝えてくれていて、再会することができました。
「アジアで最も美しい」ウィルソンにいわしめた宜野湾の松並木=並松(なんまち)は、今は普天間基地の下に姿を消しました。

戦争がなければ、美しい姿を見せてくれたであろうに。戦争はほんとに無意味で破壊しか残しませんね。
今も大山田芋畑は戦前と同じ姿でここにあります。畑を受け継いでくださった方々に、感謝しなくては。


大山田芋ファンクラブへのご連絡は下記アドレスまで。 ooyamataimo@gmail.com
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Posted by ターンム at 10:06│Comments(0)大山田芋畑の歴史
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