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2013年02月06日

大山田芋畑の歴史

・大山地区(ターンム畑)の歴史

大山地区は大謝名・真志喜・宇地泊とともに、「ちゃな」と呼ばれ富な水と肥沃な土地で、古くから農業が盛んなところでした。琉球古謡「おもろそうし」にも「大田の稲穂のなびくさまの美しさよ」と謡われています。
また、琉球各地の地理や習俗を記した「琉球国旧伝(1731)」には、「国中人民家々煮田芋、薦之於祖宗」と記され、田芋が人々の暮らしを支え、琉球王国成立の一助になったことが読み取れます。
そして、球王朝時代は、首里王府が大山の田畑を所有・統括し、農家に耕作をまかせていたといわれています。


大山田芋畑の歴史


1945年頃 普天間基地はまだない

 
大山田芋畑の歴史
  
1956年(ウーシヌハナー) 水田が広がっている

 

その後1950年代までは、上の写真でもわかるように稲作が中心であったようですが、60年代に入ってターンムへの転作が進み、一面ターンム田になっていきました。


大山田芋畑の歴史
  
1965年 大山から田芋田が残る真志喜方面を望む


大山田芋畑の歴史

2006年 現在写真中央より少し右部分に、はごろも小学校建設中



しかし、後継者不足やターンムの消費量の減少から耕作放棄地が増え、全盛期には40ha以上あった大山地区のターンム田も、現在では休養地を含め15ha足らずに減少してしまいました。
一方で、大山のターンムは品質の良さから根強いファンが多く、新しい食材として注目を集め始めていることなどから、近年、生産の継続と生産量の増大を願う声が高まってきています。


大山田芋ファンクラブへのご連絡は下記アドレスまで。 ooyamataimo@gmail.com
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Posted by ターンム at 02:27│Comments(0)大山田芋畑の歴史
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