軽便鉄道 その1

ターンム

2013年03月08日 13:55

今回は大山田芋畑と軽便鉄道の歴史をご紹介
します。


かつて沖縄には、線路を走る鉄道がありました。
「軽便鉄道」です。
軽便鉄道は1914年に、那覇~与那原間で
開通し、徐々に線路を増設して行きました。
本土より小型で、線路の幅が小さい可愛らしい
汽車。
軌道間が76cmしかないものでした。
アフィー!と汽笛を鳴らし走る様子を
歌った沖縄の童謡もあります。
お客も運びましたが、貨物も沢山運び、
(ウージの刈り取り時期には貨車にいっぱい
に積まれていました。)
小さいながらも、戦前の沖縄の人々にとって
頼りにされていました。

しかし、戦争により軽便鉄道は失われてしまいます。

大山では、軽便鉄道が走っていた線路跡が、今
でもそのまま道路として使われています。

大山田芋畑のすぐ上を通る道路です。
ケービン道とも呼ばれています。

道路は58号線(家具屋さんが多く並ぶ)と
大山田芋畑の間にあります。

[建設中の道路と、ケービン道]
この道路ができると、田芋畑の景色も随分変わって
しまうでしょう。

さて、このケービン道路から見える田芋畑の風景は
こんな感じです。

[戦前の真志喜駅周辺]
今と変わらず、のどかに広がる水田を見下ろす
様にして軽便は走っていました。
ただ異なるのは、当時は稲の田んぼ。
田芋栽培が盛んになるのは、戦後の事です。
戦後、安い輸入米が入ってきて米の価格が
下がり、換金作物と言われた田芋に切り替える
農家が増えた為です。


出典:「沖縄軽便鉄道」
    絵   松崎洋作     
    文   ゆたかはじめ
    発行所   有限会社 海鳥社



掲載を快諾してくださった、ゆたかはじめさん、
松崎洋作さん、海鳥社さん、ありがとうございました!
那覇市の料理店「てだこ亭」のみどりさんも協力して
下さり、ありがとうございました!
「てだこ亭」では、田芋料理もたまに
出るらしいですよ(^O^)

大山と軽便鉄道のお話、まだまだあるので
「その2」に続きます~m(_ _)m
お楽しみに!













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